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先生
師匠シリーズ
幻想
2015年12月21日 16:46:11コメント:0観覧数:4751

先生 (9/10)

「今日はあなたも顔色が悪いわ。あなたも少し休んだ方がいいみたい」
そんなことない、そう言って飛び跳ねようとして、グラッと膝が落ちる。
だめだ。やっぱり朝から調子悪い。風邪なんかじゃないのに。
悔しかった。もう二度と先生と会えないような気がした。
顔を背け、またコンコンと言ってから、先生は僕の目を見る。


763 :先生  後編 ◆oJUBn2VTGE:2009/09/04(金) 22:34:04 4o0HgrnU0

「あなたが始めに洞窟に入った時、不思議な幻を見たわね。赤い着物がヒラヒラしてるのを」
終わってしまったはずの事件のことを、急に言われて戸惑ったけれど、なんとか頷く。
「怖い怖いと思う心が生んだはずの幻なのに、
 まったく関係がない赤い着物の幻なんて、どうして見たんだろうと、あなたは思った」
そうだった。どうして赤い着物なんだろうと。
でも、結局洞窟の奥には隠れられる場所もなく、誰もいなかったのだから、ただの幻には違いない。
そんな僕に、先生はゆっくりと首を振る。
「この村ではね、若くして死んだ女の子には、白い経帷子ではなくて、赤い着物を着せて弔うのよ。
 その子の嫁入りのために貯めていたお金で、残された親が最後のお祝いをしてあげるの。
 晴れのない袈なんて、あんまり可哀相だもの。
 もっとも、今はもうしていない、大昔の風習だけれど。
 そして、あの洞窟のある山は、死者の魂が惑う場所として恐れられていた所なの。
 即身仏になったお坊さんは、それを鎮めるために入山したと伝えられているそうよ」
なんだか変な気分だ。僕が見たものは、ただの幻ではなかったのだろうか。
「いいえ、幻よ。もうこの世にはいない。でも、あなたはそれを見る」
先生の目が、吸い込まれそうに深く沈んだような輝きで僕の目を捉える。
「あなたは、誰にも見えない不思議なものを見るのよ。これからもずっと。
 それはきっと、あなたの人生を惑わせる」
唇がゆっくりと動く。滑らかに、妖しく。
「それでも、どうか目を閉じないで。晴れの着物を見てもらえて嬉しかった。
 そんなささやかな思いが、救われないはずの魂を救うことがあるのかも知れない」
僕はゴクリと唾を飲んだ。それから二回頷いた。何故か涙があふれ出てきた。
先生は「さようなら」と言った。
僕も「さよなら」と言った。
ふらふらとしながら教室を出て、廊下を抜け、階段を下り、下駄箱で靴を履く。
そして校庭に出て、少し歩いてから振り返る。
二階の教室の窓には先生がいる。出会ったころのままの笑顔で。
その隣には千羽鶴が揺れている。千羽にはきっと足りないけれど、たくさんたくさん揺れている。

764 :先生  後編 ◆oJUBn2VTGE:2009/09/04(金) 22:37:14 4o0HgrnU0

先生が手を振る。僕も手を振る。
そして、出会ってから一度も、先生が学校の外に出ていないことを思い出す。
カンカンと太陽は照りつけているのに、校舎の古ぼけた瓦屋根がやけに色あせて見えた。
坂を下りて行くと、だんだん学校が見えなくなる。僕は手を下ろし、畦道を通り、森へ向かう。
鎮守の森は、いつになく暗く湿っている。
真っ暗で、夜そのもののような木のアーチを抜け、黒い土の道を踏みしめる。
頭がぼうっとしてくる。気分が悪い。
神社の参道の前を通る。いつもは通り過ぎるだけなのに、何故かふらふらと入ってしまう。
ギャギャギャギャギャと、鳥の泣き声がどこからともなく響く。
お賽銭箱に、ポケットに入っていた十円玉を投げ入れる。チリンという音がする。僕は手を合わせる。
先生の風邪がよくなりますように。みんなの風邪がよくなりますように。
そして参道を戻る。鳥居の下をくぐる。そう言えば、前に通った時にはくぐらなかったことを思い出す。
なにかが頭の中を走りぬける。時間が止まったような気がする。
いや、違う。止まっていた時間が、今動き出したのだ。

ぐるぐる回る頭を抱えて森を抜け、どうやって帰ったのかよく覚えていないけれど、
次に気がついた時は、イブキの見える庭に面した部屋の中で、
僕は布団に入りびっしょりと汗をかいて、ウンウン唸っていた。
熱が出て、僕は二日間横になったままだった。夢と現実の境目がよく分からなかった。
色々なものが嵐のように駆け抜けて行った。
ぬるくなった額の濡れタオルを、時々誰かが換えてくれた。
それはおばさんだったような気もするし、ヨッちゃんだったような気もする。
咳はあんまり出なかった。ただ鼻水がやたらに出た。鼻紙をそこら中に散らかして、僕はふうふう言い続けた。

ようやく熱が引いた三日目の朝、目を覚ました僕の隣にシゲちゃんが座っていた。
「もうほとんど平熱じゃ」と言って、僕からタオルを取り上げる。
横になったまま文句を言う僕と何度か軽口を応酬し、それからすっと黙った。
外は良い天気のようだ。考えると、この村にいる間、雨なんかほとんど降っていない。
ふと、畑の野菜は大丈夫だろうかと思った。


772 :先生  後編 ◆oJUBn2VTGE:2009/09/04(金) 23:01:33 4o0HgrnU0

やがてシゲちゃんは、決心したように閉じていた口を開く。そして、あの顔を変えたのは自分だと言った。
僕は知ってたよと言う。驚いた顔。
すべては先生の推理の通りだった。
失敗にもへこたれないシゲちゃんが、あんなにも元気がなかったのは、自分のせいで友だちに大怪我をさせてしまったからだ。
だけど、僕も知らなかったことが一つ。
シゲちゃんは事件の翌日、顔入道の上に貼ったもう一つの顔を剥がした後で、
一人で隣町の病院まで歩いて行ったのだそうだ。タロちゃんへのお見舞いだ。
病室のベッドでぐったりしていたタロちゃんは、もちろんシゲちゃんの仕業だってことをもう分かっていて、
それでも怒りもせず、変に照れくさそうな顔をして苦笑いを浮かべた。
腰を抜かして逃げ出したなんてこと、恥ずかしいから誰にも言わないでくれと、そう言って頭を掻くのだった。
だからシゲちゃんは、大人に何を聞かれても黙って怒られているんだ。
僕はシゲちゃんがもっと怒られるのが怖くて、自分の仕業だということを隠しているんだと思っていた。
潔く責任を取ることが親分のあるべき姿だと思って、失望をしかけていたのに、
シゲちゃんはタロちゃんの心情を考えて、最初からすべてを飲み込んでいたのだ。
やっぱりシゲちゃんは立派な親分だった。イタズラ好きさえなければだけど。
「先生ってな誰のことじゃ」
突然シゲちゃんがそう言った。僕がうわごとで口にしたらしい。
しまった、と思った。なにを口走ったんだろう。
そう言えば、熱を出してる時に先生に会ったような気がする。
ここにいるはずがないのに。でもここにいるつもりになって、先生に話し掛けてしまったのかも知れない。
ああ。すべてに知恵が回るシゲちゃんのことだ。へたな言い逃れは余計なやっかいを生むかもしれない。
僕は観念して、鎮守の森の向こうの集落のこと、そして夏休み学校のことを話した。
自分でももう、コソコソするのは潮時のような気がしていた。
話している内に、気分が晴れやかになっていくことに気づいた。


774 :先生  後編 ◆oJUBn2VTGE:2009/09/04(金) 23:04:03 4o0HgrnU0

こんなにも先生のことを、誰かに話したかったんだ。自慢したかったんだ。
そう思いながらシゲちゃんの顔を見ると、怪訝そうな表情で首を傾げている。
「まだ熱があるようじゃ」
シゲちゃんは「鎮守の森の向こうにはなにもない」と言った。
そして「寝とれ」と、僕に取り上げていたタオルを投げてよこし、部屋から出て行った。
僕は狐につままれたような気になり、
どうしてシゲちゃんはまだ嘘をつくんだろうと、イライラしながらまた眠りについた。

どれくらい眠っただろうか。誰かが部屋に入ってくる気配がして、僕は目を覚ます。
襖を閉めて布団のそばにやってきたのはじいちゃんだった。
「鎮守の森の向こうに行ったのか」とじいちゃんは聞いてきた。シゲちゃんから聞いたようだ。
「そうだ」と僕が口を尖らすと、いつになく難しい顔をして、腕組みのまま胡坐を掻いた。
そして、僕の耳は信じられないことを聞いた。
あの集落はじいちゃんが子どものころに恐ろしい病気が流行って、みんなバタバタと死んでしまい、
残った人々も集落を捨てて散り散りになり、今では誰もいない集落の跡だけが打ち捨てられているのだという。
そんなわけはない。だって僕は現にその集落に行ったのだし、現に先生に会ったのだし、現に……
ハッとする。
僕はその時、あの森の向こうの空間には、のどかな山間の集落が確かに存在したけれど、
先生以外の人間に出会っていないことに、今更のように気づいた。
校舎の隣の家にいるという先生のお母さんも、僕のほかに四人いるという夏休み学校の生徒も、
結局誰一人として見ていない。
でも、本当にそんな捨てられた集落だというのなら、どうして先生はあんなところに一人でいたのだろう。
そして、どうして嘘をついていたのだろう。
分からない。考えていると、また熱がぶりかえしてきそうだ。
「その病気って、なに」
ようやくそれだけを言った僕に、じいちゃんはムスッとしたまま答えた。
「結核じゃ」


775 :先生  後編 ◆oJUBn2VTGE:2009/09/04(金) 23:07:21 4o0HgrnU0

結核。
テレビで見たことがある。昔のドラマで、療養所に入っている女性が咳をしていたのが思い浮かぶ。
「肺結核でな。診ることのできる医者がおらんかった」
風邪が流行っているのよ。
風邪が流行って。
咳だ。咳。先生も咳をしていた。どういうことなんだ。
わけが分からず、僕はその言葉を何度も頭の中で繰り返す。
じいちゃんはそんな僕から視線を逸らして立ち上がり、部屋から出て行こうと襖に手をかけてから、思い出したように言った。
「わしらが、顔入道さんの怒った顔を見たのも、そのころじゃ」
もう行くでない。
ピシリ。襖が閉まる。
わけが分からない。いや、僕の頭のどこか隅の方では分かっている。ただ、分かりたくないのだった。僕自身が。
頭を抱えていると、少ししてまた襖が開かれ、今度はおかゆをお盆に乗せてばあちゃんが入ってきた。
僕はばあちゃんにすがるように訴える。
「でも、先生は知ってた。大きなイブキの庭のある家って言っただけで、シゲちゃんって」
ばあちゃんは、はいはいと子どもをあやすように僕の手を掻い潜って、お盆を枕元に置き、
なんでも知っているという顔で、むにゃむにゃと呟いた。
じいちゃんは子どもの時分、音に聞こえた大変なイタズラ小僧で、
近隣の集落のものならば誰でも知っていたというほど、悪名を轟かせていたのだという。
名前は茂春。孫のシゲちゃんは、その一文字をもらったのだそうだ。
じいちゃんが子どもころからこの家の庭のイブキの木は、大きな枝を家の屋根まで伸ばしていたのだと言う。
「やっぱり憑かれちょったな。あやうい。あやうい。取り殺されんで良かった。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

776 :先生  後編 ◆oJUBn2VTGE:2009/09/04(金) 23:10:30 4o0HgrnU0

ぶつぶつと言うと、「エッヘ」と腰を上げ、じいちゃんと同じように部屋から出て行った。
取り憑かれていた?僕が?
色々なことが頭を駆け回りすぎて、ガタガタと身体が震えた。
そして、知らないあいだに涙が流れていた。

僕の風邪はただの風邪だった。感染性の恐ろしい病気などではなかった。
すっかり身体が良くなっても、僕はあまり外には出なかった。
家にこもって宿題をやり、全部片付けてしまうと、今度は公民館にある図書室で本を借りて読んだ。
シゲちゃんや病院から戻ったタロちゃんなんかが遊びに誘ってきても、あんまり気が乗らなかった。
それでも、ダンボールで作ったスーパーカーに乗り込んで遊ぶ仲間たちを見ていると、
みんなあんまり出来が悪いので居ても立ってもいられなくなり、カッコいいフェラーリを作成して参戦した。
ただぶつけて遊ぶだけなのだが、フェラーリの輝くボディに恐れをなしたやつらが逃げ回るのは気持ちが良かった。
最後はシゲちゃんと一騎打ちになって、とうとう負けてしまった。
シゲちゃんのボディには、『ダンボルギーニ・カウンタック』とマジックインキで書いてあった。やっぱりかなわない。

そんな風に僕は少しずつ元気になっていったけれど、鎮守の森には近づかなかった。
『もう行くでない』とじいちゃんに言われたこと、そして、先生自身に『きてはいけない』と言われたことを、
自分への言い訳にしていたのかも知れない。
考えないようにしても夏は終わる。僕にも帰るべき本当の家があり、学校がある。
このまま目を閉じ、耳を塞いだままには出来なかった。ケジメだと思ったのだ。案外律儀な子どもだったらしい。
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